【老子】虚用第五

天地不仁,以萬物爲芻狗。聖人不仁,以百姓爲芻狗。天地之間,其猶槖籥乎。虚而不屈,動而愈出。多言數窮。不如守中。

 

天地(てんち)(じん)ならず、万物(ばんぶつ)(もっ)芻狗(すうく)()す。聖人(せいじん)(じん)ならず、百姓(ひゃくせい)(もっ)芻狗(すうく)()す。天地(てんち)(かん)は、()()槖籥(たくやく)のごときか。(きょ)にして()きず、(うご)きて(いよ)いよ()ず。多言(たげん)(しば)しば(きゅう)す。(ちゅう)(まも)るに()かず。

 

天地に(情け深い心で人を思いやるような)<仁>はありません、形がある全てのものを芻狗(のように使い捨て)にします。(同様に)聖人に(情け深い心で人を思いやるような)<仁>はありません、人民を芻狗(のように使い捨て)にします。
天と地の間、これはまるでフイゴのようであります。空っぽであるが尽きることはなく、動かすほどに(万物が生まれ)出てきます。
言葉が多いとしばしば行き詰まるものです。(むしろ言葉は)皆無である方がよいのです。

 

 

  「天地不仁,以萬物爲芻狗。」

天地に(情け深い心で人を思いやるような)<仁>はありません。形がある全てのものを芻狗(のように使い捨て)にします。
天地自然の理には感情の入り込む余地はありません。

儒教が主張した愛情の一形態。愛とは、他人を大切に思い、いつくしむ感情をさす語である。それとは別に仁という語が成立しているからには、仁と愛とは同義ではない。
語源については、一般には、仁とは、人間の姿を示す象形文字であるが、(太古においては、他部族の者は人ではないから)自分の身近にいる親しい間柄の"仲間"、または、二人の人と人との間の愛情の意味、といわれる。儒教でも、仁をほぼ同様の意味で用いている。「克己復礼」、すなわち、私的なわがままを押えて、礼すなわち社会的規範に従うことが仁である、と孔子が述べているように、仁という愛では他人との身分的境界が常に意識され、礼という公の規準が先行している。したがって、普遍的な人間愛(Humanism)や仏教の平等愛である慈悲などとは違う。儒家が、墨子の説いた兼愛を、親子君臣の区別を無視する態度だとして非難していることからも、仁が身分的隔差と上下関係を前提とした愛情、礼を基準にもつ愛情であることが知られる。
現代語では、血縁愛、同朋愛などがあたるであろう。

ブリタニカ国際大百科事典

 

cf. 芻狗[すうく]

快気祈願や厄払いのために神前に供える藁で作った犬の細工。犠牲の代用品として祭祀に用いて、祭祀が終われば淡々と捨てられ、愛惜の気持ちはない。

 

  「天地之間,其猶槖籥乎。」

cf. 槖籥[たくやく]

ふいご。製鉄で使われる送風機。中は空洞になっていて、レバーを押し引きすることで空気が入ったり出たりする。

 

  「虚而不屈,動而愈出。」

 

虚[きょ]

丘[キュウ]は、両側に丘があり、中央にくぼんだ空地のあるさま。虚[キョ]は「丘の原字(くぼみ)+音符'虍[コ]'」虍[とら]とは直接の関係はない。

1. むなしい。(むなし。)くぼんで、中があいているさま。転じて、中身が無くうつろであるさま。空[から]。

2. むなしくする。(むなしくす。)うつろにする。空にする。

3. 漢方医学では、精気や血液がなくなって、うつろになったさま。また、その症状。

4. いつわり。(いつはり。)中身がうつろな。実質が伴わないさま。上辺だけ。うそ。ムダ。

5. 二十八宿の一つ。基準星は今のみずがめ座に含まれる。とみて。

 

屈[クツ](=)

「尸[シリ]+出」で、体を曲げて尻を後ろに就きだすことを示す。尻を出せば体全体はくぼんで曲がることから、かがんで小さくなるの意となる。

1. かがむ。曲がってくぼむ。へこむ。

2. まげる。(まぐ。)押さえて曲げる。また、やりこめる。また、主義・主張を無理に抑えて変える。

3. 漢方医学では、精気や血液がなくなって、うつろになったさま。また、その症状。

 

竭[ケツ, つ-きる]

「立+音符'葛[カツ]'(かすれる)」

1. 尽くす。尽きる。(尽く。) 力や水を出し尽くす。力や水が尽き果てる。カラカラになる。

2. 高く掲げる。担い上げる。

 

愈[ユ, まさる, いよ-いよ, い-える]

兪は左に舟を、右にくり抜く刃物の形を添えたもの。抜き取る意を含む。愈は「心+音符'兪'」で、病気や心配の種が抜き取られて、心がきもちよくなること。癒[ユ]の原字。
ただし普通は踰[ユ](越える)・逾[ユ](越えて進む)と同系の言葉として用い、相手を越えてその先に出る意。また先へ先へと越えて程度の進む意を表す。

1. まさる。優れる。比較してみて、他のものを越えている。また、そのさま。

2. いよいよ。

3. いえる。(いゆ。)病気の元が取れてさっぱりする。病気が治る。

4. (何らかの原因によって事態が一層深まることを示し)いよいよ~。だんだんと~。(事態・程度が先を越えて発展する意を示す。)

5. 愈A愈B/ Aであるほど、ますますBである。(一方の事態が変化するにつれて他の一方の事態が変化することを示す。)

 

  「多言數窮。」

 

數[スウ, ス, かず, かぞ-える]

婁[ル, ロウ]は女と女とを数珠つなぎにした様を示す。數は「婁(数珠つなぎ)+攴(動詞の記号)」で、一連の順序につないで数えること。

1. 数。順序正しく並んだ数。転じて、一つひとつのかず。

2. かず。同列の仲間。

3. 回り合せ。運命。

4. 天文や暦の計算。

</>5. 六芸のひとつ。算術。

6. はかりごと。たくらみ。

7. 複数を漠然と表す時の言葉。

8. かぞえる。(かぞふ。)一つ二つと数える。

9. 問題として取り上げていう。

10.責める。(せむ。)一つ二つと数えたてて責める。

11.煩わしい。(わづらはし。)何度も続いて頻繁なさま。こせこせしたさま。細かい。

12.しばしば。何度も頻繁に。

 

窮[スウ, ス, かず, かぞ-える]

「穴(あな)+音符'躬[キュウ]'(かがむ, 曲げる)」で、曲がりくねって先がつかえた穴。

1. 窮まる。(きはまる。)物事がギリギリのところまでいってつかえる。また、いきづまって動きがとれない。押し詰まったさま。

2. 生活が行き詰っている。

3. 極める。(きはむ。)ギリギリのところまでやり尽くす。突き詰める。最後まで見届ける。

4. 行き詰まり。一番奥の所。はて。辺鄙な田舎。

 

多言は不言の反対のことであるが、政令が繁多であるという解釈もある。
蜂屋邦夫.訳注『老子岩波書店, 2008, pp33

 

  「不如守中。」

・ 皆無である方がよいのです。

程々を守るに越したことはありません。

不如

1. …に及ばない。(…よりは)…の方がよい。

2. ('不如'の前後に同一の数量詞を繰り返し;…ごとに)悪くなる。

3. ('与其A不如B'の形で用い)AよりむしろBする方がよい。

4. ('连…都不如'の形で用い)…にさえ及ばない。

 

 「中」

は冲の借字[しゃくじ; 漢字の本来の意義と関係なくその音または訓を借りて、表記したもの。]としてととる解釈もある。

 

 

この章も印象的です。天も地も、不仁、人のことなど歯牙にもかけない、この見解は儒家を震撼させたでしょうね。

@中国の徳目を示す5つの言葉:五常というのがあります。「仁・義・礼・智・信」ですが、これらにはいわゆる陰陽五行論の裏付けがあります:「木・火・土・金・水」と並列で、「仁=木」「義=金」「礼=火」「智=水」「信=土」。中国人はなにごとも関連付けるのが好きです。

@「數」と言う字、語源が面白いですね。

老子の場合、この章もそうですが、前半と後半のセンテンスが関係不明になることが多いです。読み返してみたらもっと理解できるか、と思って半分スルーするのも良いと思います。多分老子本人は理解しているのでしょうが。

iireiさま (2017/08/15 コメントより)

こちらの章の前半部は、現代に生きる我々には違和感がありませんが、当時の方々には衝撃的な見解だったのでしょうね。
確かに、こちらの章は前半部と後半部の繋がりがよく分かりませんでした。iirei先生がおっしゃる通り、深く考えすぎず、読了後にまた読み返してみたいと思います。

ところで、「仁・義・礼・智・信」まで陰陽五行論に関連付けられていたことに驚きました! とても興味深いです。

KIKU (2017/08/15 コメントより)

 

(2017/08/14 執筆記事 転記)